ボクは漠然と読んでみたい本に手をとって、ぱらぱらとめくって興味をそそったらとりあえず読んでみます。
その次に、その本をざーっと目を通します。感覚的にはネットで文章を読むような感じです。飛ばし読みに近いかもしれません。
そして、この本が精読するかどうかを決めます。
精読すると決めた本は、じっくり読みます。
ノートに付箋を貼ったり、マーカーで線を引き、さらにメモを書き込む。線を引いたところはテキストデータに打ち込む。
あとは、これをベースに友人や家族に話をしてみたり、このブログに書くことでアウトプットします。
これは、『レバレッジ・リーディング』にも書いてあるやり方ですね。というか、これを真に受けてやっています。
やはり、さーっと読んだときよりも、じっくりネチネチと精読する方が理解が深まり、全体の流れからの細部もわかるようになります。
ただ、このままだと本の内容をインストールした感じにはなりません。
これはボク自身の体感的な感覚ですが、ノートにメモしたり、テキストに打ち込んだりするときこそ、インストールしている感じがするんですよね。
一字一句、確認しながら打ち込んでいくので、著者が考えて書いているときの頭の中の出来事をまるで追体験するかのような感覚になっているのです。
仏教経典の「写経」に近いかもしれません!
言葉の使い方を知り、文章の書き方や、思考力を鍛える学習では、実は一番この方法が効果的なのではないかと思うぐらいです。
普通に読むよりも2割増しで内容を深めれる感じがします!
以前、ある方から、今みたいにネットやスマホや本すらもなかった、紙がめっちゃ貴重だった頃はどうやって学習していたかを教えてもらいました。
それは、お坊さんたちが仏教の経典や教理を学ぶときの学び方です。
お師匠さんがお弟子さんを教育する際に行われていたやり方だそうです。鎌倉時代のことなので、800年ほど昔のことですが、、、
お師匠が、お弟子さんに仏教経典・書物(巻物)をあたえて、お弟子さん自身が大切だと思ったところを抜き書きさせて、要文を筆記させるのです。
そのうで、お弟子さんたちが書いた紙(ノート?)を預かってお師匠さんが添削するのです。
この方法によって、
- お弟子さんがどこに目をつけたか?
- ポイントを押さえているのか?
- 理解はどこまでできているのか?
を知ることができたそうです。
お弟子方は、自分のメモを添削してもらい、自分の欠けている所を認識することができます。これを繰り返して仏教の経典・教義を深めて学習されたそうです。
この話を聞いたとき、これと同じことを、「読んだ本を使ってできないか?」と思いましたが、いったい誰が添削してくれるのか? 著者?
実際のところ、添削は難しいで別のことをやっていました。
それは、読書会です。同じ一冊の本を課題として、各々が「線を引いたところ」などをシェアするのです。
10年ほど前ですが、「深堀読書会」として不定期で開催していました。
- 自分はひかなかった箇所に、他の人はなぜそこに線を引いたのか?
- 同じ個所に線をひいているが、線を引いた理由が正反対だったとか。
自分とは違った視点からの読み方を知ることができるので、その本の内容をより深めることができました。
今は、新型コロナ感染拡大下なので、こういった読書会を開催するのは難しいすが、オンラインでの開催ならできそうですね。
機会があれば参加してみたいし、また開催してみてもいいかもしれませんね。