思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

なんちゃってSEでした6(月420時間はたらく)@棚卸し


スポンサードリンク

 

この記事は、前回の「やっと全体像がみえた」からの続きです。

strengths.hateblo.jp

 

あまりにも現状のことがわからな過ぎて、ボクが任されたタスクの担当をはずされ、他のメンバーの補助作業(つまり雑用)をするなかで、あるドキュメント(資料)をみることができて、わからな過ぎた全体像がすっきりとわかるようになった。

 

その資料が

 

「要件定義書」

 

だった。

 

これが最上位群のドキュメントで、ここから、「基本設計書」「詳細設計書」「プログラム設計書」を作成してくのである。

 

これらのドキュメントをくまなく読み、ノートにとって情報を整理し、Excelで図を書いてまとめていった。

 

そして、担当を外されしまったタスクである「住所変更・過誤納処理」の「プログラムテスト設計書」の作成の意図と、そもそも何をテストすればいいのかもようやくわかった。

 

ここまでくるのに3~4週間かかっている。

 

「プログラム設計書」から、プログラムが正しく動くこと(エラー処理、例外処理も含めて)を確認することを目的としたテストを実施するための「プログラムテスト設計書」をつくればよかったのだ。

 

そのことがわかったので、雑用(お手伝い)しながら、みなさんが作成したテスト設計書の間違いや、抜けている部分などを指摘したり修正することができるようになり、ようやく、役に立つことができるようになった。

 

 

それでも、k社が請け負っている部分が予定よりも1か月も完成が遅れており、険悪な雰囲気になっていた。K社だけではなく、別のD社も遅延していて、そこの上司にキレた部下が殴り掛かり殴り合いがはじまった。しばらくしてまわりの人たちに取り押さえられていた。。。

 

 

この頃は、週に1回しか帰宅することはできず、普段は、その出向先の近くのビジネスホテルに寝泊まりしていた。8時に大きな箱(建物)に入り、24時頃にホテルに戻っていた。

 

 

こんな仕事生活が、ほぼ2~3か月続いた。当時のボクの勤務稼働時間をみてみると、

 

420時間

 

ほどあった。みんなこれぐらいが普通だった。

 

 

途中、一人胃潰瘍か何かで吐血して入院した。その建物内のトイレへ行くと、ときどき、鮮血が落ちていることがあったので、他にもムリしながら仕事をしている人がいたのだろう。

 

f:id:mitsu1973:20210117200819j:plain

Photo by cottonbro from Pexels

 

たしか、サクラが咲くころの季節だったが、気づいたらサクラをみるともなく、GWが近づいていた。そのGWも当然のことながら出勤。

 

 

ピークが過ぎても、勤務時間は月平均300時間はあったと思う。

 

 

この頃には、毎日家に帰宅できたのだが、朝、電車に乗ると、お腹が痛くなり、下痢になりトイレに駆け込むようになった。不思議なことに職場につくと、おさまるのだ。何度も続くので、すべての駅のトイレの場所を覚えてしまったぐらい。

 

 

もしかすると、今でいうところのブラックな環境だったのかもしれない。当時はそんな言葉なかったし、大人として働くってことはこういうことなんだって飲み込んだ。

 

 

つづく。