ちょっと時間が経ってしまいましたが、前回の『「けものみち」をゆく』の続きを書きます。
自分にとっての「けものみち」を探すべく、ビジネス書を中心とした読書を開始しました。いざ、読書を開始したのはいいのですが、読んでも一回読んだらおしまいです。読んだときは盛り上がって、自分も何かを習得したような気分になっているのですが、翌日、2、3日経つとすっかり忘れてしまいます。すっかり読んだことは頭からも心からも抜けてしまっていますので、結果的に本を読んだことによっての日常での変化は何も起きません。
忘れてしまっては、せっかく読んだのにもったいないと思い、線を引くだけではなく大事だなーと思ったところ、感じたところをノートに「メモ」するようにしました。その「メモ」を読み返すことで本で学んだことを定着化させようと考えたのです。
読書をはじめて間もない頃、手にとった本に『レバレッジ・リーディング』がありました。内容をみると自分のやりはじめた読書メモに近かった「レバレッジメモ」が紹介されておりました。これは今の自分にとって何等かのヒントになる本に違いないと思ったので、ソッコーで購入しました。
『レバレッジ・リーディング』をパラパラとめくると、キラっと光るキーワードがたくさん出てきました。
- 多読。
- 読書は投資活動。
- 得た知識をビジネスに活かす。
- 読めば読むほど累積効果で「パーソナルキャピタル」の「含み資産」が増える。
- たくさんの本を読めば、その中から自分の考えや方向性に合ったやり方を見つけられる可能性が高くなる。
- 線を引いたところを抜粋した「レバレッジメモ」を作る。
- メモは常に持ち歩き、空いた時間に何度も読む。
- 基本的に一度読んだ本は、よほどの良書でない限り、もう読み返さない。
多読が大事なんだと思い、とにかくいろんな分野の本を読もうと思い読書を続けたのです。ただこの頃はやみくもに読んでおりました。どこにあるのかがわからない「道標」を探すべく読書をしていたのですが、多読をはじめると、いろんなことに関心がうつっていったり、どうしたいのかがよくわからなくなることがありました。しかし、そうやってい読んでいるうちに、自分の関心事も徐々に見えつつあるように思えてきました。
梅田望夫さんは『ウェブ時代をゆく』の中で、読書について、
生きるために水を飲むような読書
と言われております。
これを読んだとき、このコトバに「はっ」としました。今の自分が自分らしく生きていくために、水を求めるが如く読書するってことなのかと思いました。この「水を飲む如く」という心情を理解していただける方って残念ながら僕の日常の周りには少ないように思えます。そういた心情を共有できる人を探すには、mixiのような趣向性探しの仕組みがあるSNSがとても便利ですし、かなり活用しております。
さらに、『ウェブ時代をゆく』では、
読書は「けものみち」を歩いていくうえで大切な「自分の志向性の発見」のための道具になった。
と綴られております。
まさに、読書こそが「自分の志向性の発見」のための行動軸と言えるのではないかと思いました。
そして、志向性の発見には多読が大事であると言われています。
「生きるために水を飲むような読書」は、「一冊の本を精読する読書」に比べて「読書一冊からの収率」が悪い。志向性の発見にも「数当たる」こと。
「数当たる」=「多読」ですね。
いろいろと本を読んでいくなかで、次第に取捨選択している自分がおります。趣向性に一致する本、そうでない本を読む/読まないの判定処理しているんすよね。膨大な本の中から選んでいるという一点だけみても、やはり何らかの志向性があってそれにそって選んでいることだろうと思います。ただ、自分では、なかなかそれがはっきり見えなかったしたりします。そこが「もどかしさ」ではあります。でも多読を続けているとよりその辺りが見えてくるような気がしております。
なぜ、本を読むのか、多読をするのか、現時点の僕の答えは、
「自分の志向性の発見」のため
これに他なりません。趣味とかのレベルではなく、「自分の志向性の発見」→「生き方そのものに通じる道標」になりえます。だから僕にとっては「生きるために水を飲むような読書」になるわけです。砂漠でオアシスを探すが如く、大量の情報の中から自分の志向性を探している感じです。
また、僕は読書に実用的なことも求めています。「いかに即戦力として活かせるのか」というのがテーマです。それは次の機会に書こうと思います。