思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

大情熱の革命家@Che Guevara


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最近、2本の映画をみてきました。

  1. チェ 28歳の革命
  2. 『チェ 39歳別れの手紙』

http://che.gyao.jp/

チェ・ゲバラを描いた映画です。この映画、娯楽性はまったくありません。音楽もほとんどなくドキュメンタリータッチの映画でした。でも最近観た映画の中ではかなり感動した映画でした。

ボクはこの映画を観るまでは、名前とゲリラ戦で有名な人ぐらいしかしりませんでした。恥ずかしながら、本気でこれぐらいしか知りませんでした。映画の舞台はキューバキューバというとヒゲヒゲ軍服のカストロ議長を連想します。そのフィデル・カストロキューバ革命を成し遂げたのがチェ・ゲバラということをはじめて知りました。でも、これを見てわたったことが何点かあります。

  • カストロを同志とし、師匠のようにみていた。
  • チェはキューバ人ではなくアルゼンチン人であった。
  • 喘息持ちで、ゲリラ戦中も喘息に見舞われた。
  • 青年医者であった。
  • 結婚をしていて子どもがいた。
  • 常に前線で戦っていた。
  • 農民を大事にした、尊敬していた。
  • 識字率をあげようとしていた。
  • 文字の読めない人は軍に入れなかった。
  • 規律に厳しかった。
  • ゲリラ戦の最中でも読書をしていた。
  • 多くの人に慕われていた。


<30歳頃のチェ>

キューバ革命後、政治家となったチェは様々な政策を実施していきます。しかし理想を追求するあまり、首脳陣の中では浮いていったようです。さらにソ連とケンカしたため、すっかりソ連から睨まれてしまいます。チェは自分がいることでキューバの経済が成り立たなくなることを知り、キューバを離れることになったようです。そーっとキューバを去りました。


2本目の『チェ 39歳別れの手紙』は、チェがキューバを去った半年後にカストロ議長が、チェの手紙を読み上げるところからはじましました。

チェ・ゲバラ 1965年「フィデルへの別れの手紙」

ハバナ
農業の年
 
フィデル
 
私は今 多くを思い出している。
マリアの家で君と出会ったこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間の あの緊張の日々・・。
死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、現実に死を突きつけられ慄然とした。
後にそれは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ
  
私はキューバ革命で私に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから別れを告げる
 
同志と 君の人民に、今や私のでもある人民に・・。
私は党指導部での地位を正式に放棄する。大臣の地位も、司令官の地位も、キューバの市民権も・・
 
今 世界の他の国々が、私の ささやかな助力を求めている。
君はキューバの責任者だからできないが、私にはできる。
 
別れの時が来たのだ。
もし私が異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向かうだろう、とりわけ君に。
勝利に向かって常に前進せよ。祖国か死か。
革命的情熱をもって君を抱擁する。
 
チェ


<31歳頃のチェ>



このとき、チェ・ゲバラは子どもたちにも手紙を書いている

チェ・ゲバラ 1965年「子供達への最後の手紙」

この手紙を読まねばならないとき、
お父さんはそばにいられないでしょう。
世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
いたみを感じることができるようになりなさい。
これが革命家において、最も美しい資質です。
子供たちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている
だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
 
お父さんより


チェの最後

ボリビア政府軍に追い詰められたチェは捕まり、捕虜になってしまう。監獄にて監視兵とのやりとりがあった。映画の場面でのやりとりが印象深くのこっている。映画なので、このセリフが事実なのかどうかはわからないけど、すごくしっくりくる言葉だった。

 
 監視兵:キューバに、宗教はないのか」
 
 チェ :「国教はないが、人々が信じる宗教はある」

  
 
 監視兵:「(チェは)何を信じているんだ」
 
 チェ :「人間を信じている」