思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

37歳が読んで思ったこと @ 『35歳までに読むキャリアの教科書』


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35歳というキーワードの入った本をよくみかける。
 
ボクはおおよそ1年前に35歳という年齢を終えているけど、この手の本はその35歳という年齢に限らず有益なことが書いてある。
 
35歳といっても肉体的に35年たっているけど、精神的なものや温度間はかなりの幅があると思う。
 
けど、キャリアや仕事というとそうでもない。肉体的年齢が今の日本ではまだまだモノを言わせているし、様々な制度がそれを受けてつくられている。なんかギャップを個人的には感じる。
  
キャリアに詳しいジャーナリストの渡邊正裕さんは、
 
『35歳までに読むキャリアの教科書』渡邊正裕著

 
の中でこんなことを言っている。
 

全員が全教科で80点を取れることを目指すような従来型の教育は、規格大量生産を得意とする戦後の工業立国では有効だった。だが、生産拠点が中国をはじめとするアジアに移りつつある「ポスト戦後」経済においては、金太郎飴のような均質な人材は、もはや求められない。各自が才能を早期に発見しやすい教育へと政策をシフトしていく重要性が高まっている。

 
18歳、22歳、28歳、35歳、と、ベルトコンベアーで流れるような時間軸で人のキャリアや仕事なんて決まるものではないと思う。渡邊さんが言うように、経済成長時の頃ならそのあり方が劇的に有効だったのだと思う。
 
でも、今は成長は停滞しているし、別の見方としては成熟した経済ってことなんだろう。人口も増えることもなければ、モノも増やす気だってなくなるだろう。物欲の限界が見えてきている。
  
そんな中でどんな仕事をし、何でメシをくっていくのか?
 
そんなことを本気で考えるのはしんどいし、みんなとなんとなく同じ動きをしているば溺れ死ぬことはなさそうと思ってしまいやすい。
  

ポスト戦後のいま、全体のパイが増えないなかでは、才能なきところでどんなに頑張っても、絶対に報われない。本当のことを言ってしまうと身も蓋もないから、大人は子どもに無条件で努力の重要性を説くが、本当のことを教えるべきだろう。「才能ある分野で努力すれば、きっと報われる」「才能なき分野で努力しても無駄骨だ、おまえは絶対に失敗する」

 
どんなことでも努力すれば、誰でもできる。
 
ということは市場が常ね変化し、世界と情報が密接に複雑に絡み合う、複雑な今の社会では、そうもいかない。であればこそ、自分そのものが何を持っていて、どういう方向へ進んでいきたいのかを自覚していないと、混沌とした大海に飲み込まれてしまうだろう。
 
この本の中でもいっているが、その大海を泳いでいくには、才能・能力・価値観の3つを自覚することなのだろう。「自分特有の才能で、興味を強く持てる分野でやっていくなかでしか報われない」と、渡邊さんは言う。
 
「強み」についてこの14ヶ月研究してきたから、ボクもそれに強く同意できる。「才能」「能力」を絞り込むという現実は意外と厳しいものをその人に突きつけることになるのかもしれない。
 
でも、そこからはじめて本当のチカラでスタートできるのだと思う。