思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

インプット→アウトプット→アウトカム@『ツイッター時代の個人「発信」力』


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本を読んだり、セミナー、研修、会話から学んだこと、つまり「インプット」したことを、どう「アウトプット」するか?
 
ボクなんかは、情報を得たことをメモに書くこともアウトプットだし、こうやってブログに書くことや、ツイッターでつぶやいたり、人に話したりすることもアウトプットです。
 
だから、アウトプットの中に報酬や評価といった「成果」がはいってくることに違和感がありました。
 
で、最近、読んだ本で『ツイッター時代の個人「発信」力』というツイッター本があるのですが、、、
 
ツイッター時代の個人「発信」力』北野充著

ビジネスパーソンのためのツイッター時代の個人「発信」力

ビジネスパーソンのためのツイッター時代の個人「発信」力

 
この本の中で、インプット、アウトプットのみならず、「アウトカム」という言葉が出てくるのです。
 

勉強だと、勉強をするのがインプット。発信をするのがアウトプット。
そして、その成果のアウトカムが、自己表現や周囲との関わりであったり、自分の成長や自分という存在のアピールであったり、また、収入であったりします。

 
アウトカムは、「インプット」したことが自分の中で成熟して、表現できるよになり、また活用できるようになった知恵ともいえそうです。
 

発信のアウトカムにはさまざまなものがあり、収入は、そうしたアウトカムの一つの側面だと思います。そう考えてくると、勉強の趣旨、目的を収入、年収に結びつけるのは、インプットからアウトプットを飛ばしていきなりアウトカムを考え、しかも、アウトカムの中でも、収入という側面しから見ていない考え方のように思えます。収入とは、そうした発信が世の中で意味のあるものと認められた結果としてついてくるものなのではないでしょうか。

 
「年収○倍アップ勉強法」の類の本や雑誌特集がありますよね。これって、「インプット」→「アウトカム」(一側面)をイメージしていませんか?
 
アウトカムは自分にとっての学習のエンドベネフィットのひとつの側面ではあると思いますが、地道に「アウトプット」を続けることや、それが熟成して知恵となり、しかもそれが誰かの役に立ち評価されて、アウトカムへいたるわけです。
 
このブログもボクの直接的な「アウトカム」にはなりませんが、それに至るプロセスの中での「アウトプット」の場としているつもりです。ボクの場合、この「アウトプット」の量と質が「アウトカム」を決めているよう感じる昨今です。