思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

毎朝、都心とは反対方向へ行く電車に乗る喜び(もはやSEではない9)@人生の棚卸し


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JR中央線で新宿・東京方面へ向かう電車は平日、土日祝日ともに混んでいる。特に平日朝の電車は殺人的な混みようだ。そこにさらに過敏性腸症候群IBS)の症状が出てきて、数回の途中下車でトイレにかけこみ、場合によってはトイレ行列待ち。あれはほんとしんどかった。

 

そして、転職を決意し、そんな当時のボクにはピッタリそうな職場を見つけ無事転職できた。そこまでのことを前回の記事で記した。 

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 ■人生初の3週間越えの休暇

 

会社を辞める際に、3週間ほどの有休をすべて使うことにした。1週間以上休むこと自体が、学生以来だった。

 

朝起きて電車に乗らなくていいというのは、本当に心がラクで嬉しかった。案の定、IBS過敏性腸症候群)の症状はほぼ出ない。ボクのカラダは驚くほど、素直なのだなぁと思った。

 

平日の午前中は本を読んでのんびりと過ごし、午後から自転車に乗って近所市内を走ったり、映画館へいって空いている館内で映画を観てたのしんだ。平日ずっとお休みしている罪悪感にた感覚もあったりしたが、それ以上に解放感が大きかった。

 

しかし、不思議なもので、2週間も休んで自由きままな生活をしていると、それに飽きてきて、仕事欲のようなものがメラメラと沸き上がってきた。

 

おそらくは、ストレスから解放され、エネルギーが充足したので、今度はエネルギーを消費したくなってきたのかもしれない。最後の1週間は、次のPCインストラクターの仕事のため、ExcelやWordといったOfiice製品ソフトの本を読んだり、特に使う用途はなかったけど、英語を勉強してみたりしていた。

 

 

 

■そして、いよいよ初出社

 

有休消化も終わって、月が変わり、転職する会社への初出社の日となった。

 

朝はこれまでは7時直前ぐらいの電車に乗っていたのが、これからは8時半以降の電車に乗ることとなった。朝、1時間半も余裕があると、睡眠時間も増えて、食事もゆっくりできる。

 

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さらに、乗っている電車は都心方向とは逆方向に進むので、基本的に混んでいない。座れる席があるか、ないかぐらいな状態だった。電車に乗っている時間も20分弱。これまでとは雲泥の差である。30分もあれば十分間に合うのだ。

 

これが幸いしてなのか、IBSの症状が皆無ではないが、ほぼ出ない。これは衝撃的な喜びだった。無自覚に受けていたストレスが、心を潰すよりもずっと前に、カラダにダメージを与えていたということがよくわかった。

 

 

 

■新しい仕事

 

新しい職場に到着し、全体朝礼があり、そこで新入社員として紹介された。

 

実は、この転職した会社も中心業務はシステム開発を請け負ったり、自社でサービスを作って提供したり、インターネット接続サービスを行うプロバイダー業も行っていた。その一部にPC教室を運営しているのであった。

 

ボクが担当することとなっているPC教室は既に別の社員さんがインストラクターをされていて、ボクはその人から研修?のようなものを受けて、あとは任せたみたな感じで引き継いでやることとなった。

 

このPC教室にくる生徒さんは、この地域にある会社で、中小企業、個人商店といったところで働いている従業員さんや、経理、総務を担当されいる方や、社長さんが主なお客様であった。

 

当時はOSといえばWindous2000が使われ始めたころであった。とにかく、パソコンを触れたことのない、40代、50代、60代の人が主な受講生であったのだ。

 

朝9時から毎日パソコン教室を開いているわけではないので、そのほかの時間はインタネットプロバイダーの事務仕事や、会社の顧客からの様々なご要望にお応えるするということをやっていた。

 

例えば、パソコンの納品したり、調子をみたり、小さな会社の社内LANを構成して設置したり、なんだかパソコンなんでも屋みたいな感じのことをしていた。

 

こういった業務は、これまで経験したことはなかったけど、前の会社でのプログラミングや、テスト計画書の作成といったことからすれば、実際のところ難しくはなかった。

 

ただ、別次元の未経験の難しさはあった。それは人との交流だ。お客様の中には、80代の方もいたので、マウスとかキーボードといった言葉が通じなくて本当に参った。なんとか話しを通しても、次の時にはすっかり忘れてしまっているとか。

 

 

 

システム開発部メンバーと仲良くなる

 

別のフロアに、システム開発部があり、お昼時になると、そのメンバーの一部と一緒にお昼ご飯を食べるようになった。次第に開発部のメンバーと仲良くなり、休日もみんなで一緒にディズニーランドや、今はなき「としまえん」、富士急ハイランドへ遊びに行ったりしたものだ。

 

他にも、野球をやったり、美味しいものをテーマを決めて食べていったり、夜、流星群をみにいったり、川原でBBQをするような活動もあった。前の会社と比べると、休日の人間関係の使い方は大違いであった。ともかく、仕事もそうでないときも楽しく過ごせていた。

 

 

■年収<激減>問題

 

このように、心も人間らしく豊かになり転職して本当に良かった。

 

しかし、ただ、前と比べると給料がめちゃくちゃ下がった。年収にして200万近く下がったのだ。面接時にそのことはわかっていたので、それは覚悟の上であり、自分の健康とトレードオフなのかなと思いながら、そこは納得していた。

 

 

■体調良くなり、再びシステム開発の仕事をしたくなる

 

 ともかく、この会社に勤めるようになってから、ボクの体調はすっかり良くなった。環境を変えるだけでこんなにも大きく変わるものなのかと、強く思わされた。

 

次第に、仕事で成果を出したくなるというか、挑戦する意欲がでてきたのだ。その中で、開発部のメンバーとは仲が良かったので、彼らの話を聞けば聞くほど、ジワジワとプログラムを組んでみたくなったり、開発の仕事を再びやりたくなるような気持ちになっていった。

 

さらに、社長から、パソコン教室は利益が出にくいということで、いまいる受講生で終了にするということだった。そうすると、ボクがやる仕事が、本当にパソコン何でも屋になってしまう。

 

 

■社長に異動を要望してみた

 

 そこで、社長と部長に開発部へ異動できないかどうかをお願いしてみることにした。部長は前職の経験から推してくれたが、社長からはNGが出た。

 

その理由は使用言語がCOBOLしか触れたことがないのと、前の会社でテスト設計はやっていたけど、プログラムを組んだ経験がほぼない、というのが理由だ。

  

 

■結果的に「営業部」へ異動

 

システム開発部への異動のお願いをしたあと、社長から、ボクを「営業部に異動させる」という話ができてた。

 

この会社に入ったのはPC教室でインストラクターができると思ったからだ。それが、結果的にできなくなり、営業メインの仕事をすりようになるというのだ。転職した意味が半分ほど変わってきてしまう。

 

それでも、営業部への異動は避けようがなかったので、受け入れるしかなかった。仕事内容もさらに変わり、営業活動の仕事をするようになった。この仕事がそのときのボクには合わなかった。もはや、リハビリはここまでか、と思った。

 

 

■再び、次の道を考えるようになる

 

ということは、ボクがこの会社でプログラミング経験を積むことは、かなり難しいということが見えてきたので、そこの会社に入社してまだ1年ぐらいしか経っていないのだが、再び、ボクは新聞「折込求人広告」をみるようになっていた。

 

正直、社長以外との人間関係はかなり良かったのと、通勤がラクだったので、その人間関係の抜群に良い環境を変えることのためらいも大きかった。

 

とはいえ、自分の今後のキャリアを考えると、やはりエンジニアとして仕事をしていきたかった。もう一度、IT分野でエンジニアの仕事をしようと決めた。

 

ミレニアム年が終わり、21世紀の初年の夏の終わり頃のことだ。

 

 

長くなったので<続く>

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