思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

なんちゃってSEでした7(時給380円)@棚卸し


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この記事は、前回の「月420時間はたらく」からの続きです。

 

strengths.hateblo.jp

 

プロジェクト全体が遅延気味で、うちの会社とK社はおよそ1か月ほどの遅延であった。

 

そのため、全員総がかりで「プログラムテスト」を実施した。ボクもなんとか「プログラム設計書」を書くことができるようになり、他の人が書いた「プログラムテスト設計書」をもとにプログラムテストも同時に実施していた。

 

 

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Photo by Kaleidico on Unsplash

 

 

計画全体のフェーズが「テスト計画・実施」に入っていたので、結局、ボクがこのシステムのプログラムを読むことはあったけど、プログラムをコーディングすることはなかった。

 

 

すべてのモジュールのプログラムテストを終えることが最優先であった。そのため、前回も書いたように、月420時間勤務が2、3ヵ月続いた。

 

 

そして、これだけ働いて振り込まれた給料が手取りで16万だったので、手取りの給料を時給換算すると1時間約380円。めっちゃ、安いなぁ。。。。。

 

 

そして、なんとか「プログラミングテスト」が完了した。

 

 

その後、たまたま、いろんなドキュメントを読んでいて全体像がわかっている方だったので、「詳細設計書」をもとに「単体テスト」を実施し、「基本設計書」をもとに「結合テスト」を実施するようになった。

 

 

要件定義書や基本設計書はかなり読み込んでいたので、このプロジェクトの業務内容やシステムの仕様に詳しくなっていた。

 

 

そのおかげなのか、N社主導のテストメンバーとなった。自社が入っていた箱(建物)からは離れて、別の箱(建物)に異動となり、「要件設計書」をもとに、「総合テスト」や、「他システム連動テスト」、「本番実データテスト」などのテストも設計し、実施することになった。

 

 

夏になる頃、ボーナスが出るという話をきいた。

 

 

時給380円にボーナスか。。。。

 

 

ボーナスが入ったらしいということを自社の人から聞いて、ATMで通帳記入した。そしたら、賞与75000と印字されていた。バイトのときですら、夏に賞与が出ていて10万はもらっていた。

 

 

 

これだけ働いて、これなのか。。。。

 

 

 

通帳を眺めながら、桁を読み間違えていることに気づいた。

 

 

 

750,000

 

 

と記帳されていたのだ。

 

 

んん!!!!

 

 

ここまで頑張ってきたことが報われた気がした。

 

 

しかも、賞与とは別に、月末に給与も入って、その月だけで、ボクの口座は一気に90万ほど増えたことになる。

 

 

はじめて、「正社員っていいもんだなぁーー!」って実感した。

 

 

このシステムはリリースまでに5年かかる大型プロジェクト案件であった。ほぼ、2年間は様々なテストをひたすら計画し、実施していた。法律が改正されたりすると、それにあわせてシステムに修正が入るので、それ用のテストも設計し実施していた。

 

 

この現場に入ってから半年で、初級システムアドミニストレータを取得し、さらに半年後には、基本情報技術者の資格を取得した。このときはじめて「システム開発」全般を勉強できて、今やっていることの意味や、汎用性のある考え方がみについたと思う。これは本当に勉強してよかった。

 

 

2年もテストを設計し実行していたから、プログラムを全然書いていない。しかも言語はCOBOL。当時、流行っていた、もうちょっと軽い感じのWEBシステムで使えるような言語(Javaとか)を使ってみたいというのもあった。

 

 

途中、体もおかしくなり、過敏性腸症候群となって(正確には診断されていないけど、症状的にはまさにコレ)、都内まで1時間半をかけての通勤が辛くなっていた。

 

 

胃腸の検査をしても、正常と言われ、心療内科の受診を勧められ、抗不安剤?を処方されて使ってみたけど、ぜんぜん改善しなかった。

 

 

やはり、過敏性腸症候群の症状が一番つらかった。また、給料と賞与(夏・冬・春の3回あった)を合わせた年収は思っていた以上に良かったけど、 仕事の将来性、エンジニアとしての汎用スキルが身につかないと思い、会社を辞めることにした。

 

 

わずか、2年間ほどお世話になった会社だが、あまりにもいろいろが強烈すぎて今でも当時の事はよく覚えている。未経験で文学部卒でフリーターだったボクをよくやとってくれたものだ。身をもっていろんなことを経験させてもらい、今では感謝している。

 

  

その会社を辞めたときってまだ20世紀だった。たしか、20世紀最後の年だったかな。。。

 

 

仕事上であれほどの大変さ、辛さを超えるような仕事はまだしていない。一番最初についた仕事が、一番ハードできつかった。

 

 

でも、それが良かったと思う。最悪で劣悪な状況下で仕事をしたので、どこでもやっていけるって思えるようになった。その経験はあとあと自信になっていった。

 

 

その後、3週間ほど有休を消化して、次の会社へ転職した。