民主主義国家の代表格であるアメリカ。そのアメリカが前回の大統領選挙でトランプを選んだこと、そして今回の大統領選挙以降の状態をみてみると、民主主義というのは時に良くない方向にも進んでしまうという事例になっていると思った。
自分の支援者を煽って、議会襲撃を扇動するような大統領ってすごいわ。どこかの独裁国家の大統領がやっているのならわかるけど、あのアメリカですからね。
去年読んだ、ハラリ先生の『21Lessons』では、この民主主義の危うさについて「自由」というLessonの中で次のように言われています。
国民投票や選挙は、人間の合理性にまつわるものではなく、つねに感情にまつわるものだ。
合理的な思考ではなく、そのときの一人ひとりの感情、気分が誰を選ぶかを決めている。。。。ボク自身も選挙のときは、最終的に候補者が好きから嫌いかで選んでいます。
もし民主主義が合理的な意思決定に尽きるのなら、すべての人に同じ投票権を与える理由は断じてない。いや、投票権そのものを与える理由するらないかもしれない。他の人よりもはるかに博識で合理的な人がいることを示す証拠はたっぷりある。特定の経済問題や政治問題に関するときは、間違いなくそうだ。
すべての人に投票権を与えないというのは、なにやら、時代に逆行しているようなところもありますが、ここは、このような考えに毛嫌いするのではなく、立ち止まって考えてみた方がよさそうです。
ブレグジットの投票の後、著名な生物学者のリチャード・ドーキンスは、自分も含め、イギリスの国民に投票で意見を問うべきではなかったと、不満の意を表した。なぜなら一般大衆は、判断に必要とされる経済学と政治学の予備知識を欠いていたからだ。「アインシュタインが代数学的な処理をきちんとこなしていたかどうかを全国的な投票を行って決めたり、パイロットがどの滑走路に着陸するかを乗客に投票させたりするようなものだ」。
確かに、選挙で投票を決めるときに必要とされる知識が不足していると、マスコミで著名人やタレントの言っていることや、周りの友人たちの言っていることに流されて決めてしまいそうです。
是非はともかく、選挙や国民投票は、私たちがどう考えるかを問うものではない。どう感じるかを問うものなのだ。
人間の感情は謎めいていて深淵な「自由意志」を反映しており、この「自由意志」が権限の究極の源泉であり、知能の高さは千差万別も、あらゆる人間は等しく自由であるという前提に、民主主義は立っている。
いまのところ、民主主義は完璧でベストではないけど、これより優った政治制度もなさそうなので、当面は現行の民主主義でいくしかないですよね。
自分が感じていることと、他人が感じていることは、自分が思っている以上に違うことがよくあるものです。
自分がこう思っているから、きっとみんなもそう思っているんだろうな。。。。って考えるのは危ういってことですね。
感じていること、思っていることを最低限言葉に出して、表出してないと、勘違いしたまま物事が進んでしまうことだってあるわけです。
言語に尽くし難いことも多々あるけど、言葉にしてみた方が、よりよい判断ができる可能性が高まりそうです。