思ったことを「メモ」にとっておく

主に読んだ本の備忘録として「本の抜き書き」と「思ったこと」を書きつづり、さらに本以外のことでも「メモしたこと」、「考えたこと」についてつづっているブログ

21世紀の教育を考える @ 『進化する教育』


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学校教育は何の為にあるのだろう?

小学生、中学生、高校生の教育コンテンツをみているといつも疑問に感じてしまう。

なぜなら、物理の運動方程式や、化学のモル計算、数学の三角関数・対数関数・ベクトル・数列や、古文、漢文などなど、会社に入って必要とされる知識や技能となあまりにもかけ離れていると思うからです。

会社に入って必要とされることって、こんなことじゃなくて、国語力だったり、表現力だったり、コミュニケーション力だったり、目標・計画力、達成力だったりしませんか?


今回、R+様からののお知らせで、大前研一さんの

進化する教育(DVD付) (大前研一通信特別保存版 PARTVI)

進化する教育(DVD付) (大前研一通信特別保存版 PARTVI)

を読んでみました。


その中に考えるヒントがありました。それは、

必要とされる「教育の中身」は変わった

ということです。


背景として、
 

 
実は日本の教育システムは途上国時代の産物である。均質で程度の高い労働者を量産することは国策にも合致していたし、産業界からみても都合がよかった。
 
しかし、21世紀に入ったこの10年で状況は一変した。新興国の台頭で、日本の何十倍もの大量生産が可能な国がいくつも現われた。彼らは日本の1/10の人件費で日本人と同じスキルを身につけ、駆使し、手強い競争相手となった。
 
一人あたりGDP4万ドルを維持するための人材は、高度なITや金融のスキルを持つか、新しい事業を構想したりクリエイティブな創作のできる人に限られるようになった。
 

  
ということが上げられています。21世紀を境に世界をめぐる状況が大きく変化し、その結果、求められることも変わってるにも関わらず、INPUTの中身が旧態依然のままであるということ。
 
 
工業化大量生産社会で必要だった人材に必要な教育と、これからの創造的生産活動ができる人材を育成する教育にはどのような違いがあるのでしょうか?
 
 
20世紀型の教育を「決められた正解」を理解・暗記するための教育とするなら、21世紀型の教育は正解のない問題に「自分で答えを探す」ための教育と著者はいいます。


現状の学校教育の内容と、いま、必要とされる教育内容には大きなギャップがあり、急ぎそれを変えていく必要があると痛感します。
 
 
著者の大前研一さんは、ご自身で「ビジネス・ブレークスルー大学/大学院」というインターネットを使った独特な教育の場を作られています。この本の大半はその紹介となっていますので、詳しくしりたい方は覗いてみてください。
 
 
最初の「学校教育は何の為にあるのだろう?」という問いに戻りますが、著者はこの本の最初の方で一つの答えを出しています。それは、
 

世界中どこに放り出されても裸一貫で生きていける「生存力」を身に付けさせる、これこそが教育の目的のはずなのである。

 
ということです。
 

グローバル化が急激に進み、個人も組織も変化の大きな渦に巻き込まれていく今の時代、ゼロベースから何度も作り上げていける力が「生存力」だとボクは思います。学校教育は無駄とは思わないけど、目的が既にズレているのだから、その補正を今は各自が行なわなければ、ただただ時流に流されてしまいそうです。